福岡リノベクロニクル #2

リノベーションの始まりのころ

僕が起業した2000年代のはじめ頃は、小泉総理やホリエモンが連日メディアを賑やかし、今よりも社会に元気があったように思います。また、1990年代の終りにカーサブルータスが創刊されるなど、デザインの関心がファッションからインテリア、住まいへと広がった時期でもありました。
ミッドセンチュリーがブームになり、そのころ買ったイームズチェアを今でも大切に使っている方、多いのではないでしょうか?築港本町にデザイナーズとよばれるマンションや博多駅南に本格的なリノベーションの賃貸が登場したのもこの時期です。

そんなある日、なにかの用事でアポロ計画さんの事務所(当時は警固にあった)にお邪魔した際、リノベエステイトの立ち上げ中だった松山さんからリノベーションの話を聞きました。
今でこそリノベリノベ言ってる僕ですが、リノベーションって言葉に触れたのは実はその時が生まれて初めてのこと。
とはいっても、僕だけではなく、当時はリノベーションというキーワードを使っている人は福岡にはあまりいなかったはず(少なくとも不動産仲介業者には皆無)。
何はともあれ、もともと古い車やモノが好きで、不動産も古い建築ばかりに目がいっていた僕にとっては、ワクワクするしかないお話しでした。
ちょうどセレクトルームの準備中のときだったので、いち早くリノベーションの情報にタッチできたことは実にラッキーだった。
ちなみに、福岡でリノベーションが認知されるようになったのはそれから2年くらいあとのはなしです。
そして今でこそリノベエステイト的な…リノベ◯◯◯のような社名やサービスが全国にたくさんあって、まるで長浜発祥のラーメンやさんのような状況ですが、このネーミングの元祖はもちろん松山さん(と僕は思っている。当時ネットでもこのようなネーミングはなかった)。
つまり松山さんはリノベーション業界のパイオニアなのです。

そんな彼に、今回ふと、素朴な疑問を投げかけてみました。それはなぜ「リノベーション」だったのか?
「リノベーションのカルチャーを広めたい」という気持ちから、リノベーション協議会の九州部会会長を続けていることは知っていましたが、そもそも何故リノベーションを広めたいと考えたのか……?
すると答えはこんな感じでした。

「昔から欧米の建築が好きで、学生の頃は西洋建築史を学んでいた。
パリやロンドン、ベルリンでは、当たり前のように古い建築を住宅や商業施設にリノベしてカッコよく使っている。
一見、ただの古ビルにアパレルのハイブランドがショップとして入っていたりして、まちに奥行きを感じる。
20年前の日本だと、京都とかだったらあるけど普通のまちではナカナカ見ることがなかった。
だからリノベーションカルチャーを広めてまちをもっと豊かにしたいと考えた」
なるほど……そしてこんなことも、
「街の一等地には既にビルが建ち並んでいて、欲しい場所に不動産を買うとしたらリノベしかない。だから、新築が買えないからリノベではなく、欲しいくらしを手に入れるためにリノベなのです」

メモをちゃんと取っていなかったので言葉は少し違うと思うけど、大体こんな内容のことを話してくれました。

そんな思いから始まったリノベエステイトですが、これまでに松山さんが手がけた案件は多数。
いくつかはサイトに掲載されていますので、>こちらを御覧ください。
個人住宅を中心にショップや商業施設、2005年にはいち早くヨガスタジオ、最近ではサウナも(松山さんはサウナ・スパ プロフェッショナルでもあります)。

その中から今回は、リノベエステイトさんの自社ビルで松山さん自身がデザインした事業用不動産を紹介します。
進化し続けるリノベーションの教科書ともいえるビル「BLDG64」です。

#3 進化するリノベの教科書 >
< #1 リノベエステイトの松山さん